プロジェクトはある目的を達成するために集まったチームといえます。よくある立場としては、利用者・発注者・依頼者が考えられるでしょう。よくこういった製作話で持ち上がるのは、関係者の利益バランスの設定を間違った結果、誰にも使われない、納期に間に合わないといった成果物ができあがるパターンです。
よく聞こえてくるのは、特に発注者と製作者の溝です。果たしてこれは誰のためのプロジェクトだったのだろうか?と反省する弁もよく聞かれます。受託案件となると、イニシアティブは支払いを行う発注者にあるケースが多く、製作者がそのしわ寄せ先になると思われがちですが蓋を開ければ全員が損をしています。
- 利用者 試す気にもならないサービス、メリットも感じられず時間の浪費
- 発注者 投資に対してリターンを得られず資産と労働力の浪費
- 製作者 労力に対してリターンを得られず、加えて継続的な取引機会の損失
今回の記事では犯人探しや責任のなすり合いではなく、プロジェクトにとって大事な利益のバランスについて自分なりの考えを書きたいと思います。
誰がためのプロジェクトか?
製作者がよく陥る失敗はクライアントとユーザの優先順位を誤るケースです。売上をあげる、という点ではクライアントである発注者の意向に添うことで満たされることは多いでしょう。しかし、その利益とはどういう定義なのでしょう?
一見、発注者が得をして製作者も懐が温まったように見えますがビジネスとしては失敗です。なぜなら発注者の収入源となるユーザの利益が低いために、今後の回収を望めないからです。
当たり前の話をしたところで、上のグラフに違和感を感じないでしょうか?ユーザは最初の時点で、自分にメリットがあるかどうかも分かりません。発注者は投資をしたのであって、回収するまではマイナスです。お金の流れだけで言えば、製作者が一番最初に得をしているはずです。つまり、このグラフは製作者の思い込みの可能性があります。
精根尽き果てでも完遂すべきか?
次にあるケースはユーザ至上主義ともいえる姿勢です。一見、クライアントの顧客であるユーザの利益を最大にしようという姿勢は正しく見えます。しかし、そのために発注者と製作者にとっての負担を非常に大きくすることで成り立つ状態であった場合、果たして継続できるビジネスとなるのでしょうか?
あくまで発注者も製作者も事業体なのですから、継続できるだけの還元が見込めなければ手を引いた方がマシかもしれません。何とかやり遂げた、しかし2度とやりたくない。特に製作者にとってはユーザーのためと言われれば弱いかもしれませんが、リターンに対して労力があまりに大きすぎる状況を冷静に見られていなければ危険です。いわゆるデスマーチは事業の継続性という点では最悪のトラウマとなります。
Win-Winとは本当に成り立つのか?
関係者すべてに平等の利益があるWin-Winが理想的というのは、よくある話です。ですが、平等の利益とはどういう状態なのでしょう?これはあくまで自分の感覚になってしまいますが、平等という定義がよほど明確になっていない限り、体面上は平等であっても不公平感が募っていくようです。これは対人関係において「自分はこれだけやっているのだから」というのは、実は互いに感じていることであり、それを忘れることは1つ目のグラフへの序章となりえます。
自分が一番に投資をしているつもりで、実は自分の利益を最大限にしようと操作してしまう可能性があります。本当に利益をそのように操作していなくとも、プロジェクトの関係が良好でないと、不公平を感じてしまうというのが怖い所です。
1%だけ譲る、という感覚
先ほどのグラフで余剰だった1%はユーザーに譲ります。発注者の顧客であり、継続的な還元を得るためには必要です。さらに製作者が1%をユーザーに譲ることで、発注者が得している状態を作れるかを考えます。内部的な関係としては、製作者が発注者に対して1%譲るという感覚が大事ではないかと考えています。恩を売れ、ということではなく少しだけサービスする、という感覚です。発注者に直接ではなく、顧客であるユーザに利益があることで発注者に利益が増えます、という体裁は大事です。
なぜなら最終的に大事なのは事業の継続性であり、そのためには良好な対人関係も必要だからです。加えて、最初に物理的な利益を得ることになるのは大抵の場合は製作者だという前提があるからです。
発注者から「あ、この人に頼んでよかったな」と少しだけでも思ってもらえることが、継続への一歩だと思います。
仕事と生活のバランスを忘れない
ここまで、プロジェクトという観点で書いてきましたが、あえて利益とは何か?還元とは何か?というのは具体的に定義していません。その利益は仕事としてなのか?人としてなのか?でも変わってくるからです。私の中では人として、というのを大前提にしています。
フリーランスという立場上というのはありますが、あらゆるリソースをつぎ込み、最大限の努力を自他共に認められる内容であっても、普段の生活がおろそかでは今後の継続性という点ではマイナスです。
様々な人間の助けや共生によって成り立っているという視点を見失わない余裕、バランスを維持することが実は一番に意識を払うところなのだと感じています。
CPI MEGA MIX 2016に登壇しました
2016年7月26日
KDDIウェブコミュニケーションズさん主催のCPI MEGA MIX 2016に登壇しました。Web 制作に必要な「技術・戦略」と Web 制作者の交流の場、ということで、全国のCPIエバンジェリストが昨年に続いて一堂に会しました。私はITスキルを通じて異業種との協業プロジェクトをいくつか経験し、そのケーススタディーを共有するという内容でセッションを行いました。
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テスト環境の保持期限ってどのぐらい?
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システム開発に従事する方々、過去のプロジェクトについてテスト環境はどのぐらいの期間で保持していますか?思いも寄らぬタイミングで過去に納品したシステムについて問い合わせがきたりします。テスト環境を残しておいて良かったと思う反面、責務として残り続ける点についても色々と考えさせられるものがあります。
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[レポート]一歩先行く!ツール活用で制作効率アップ
2012年7月29日
今回のセミナーは全部で5セッションと非常に盛りだくさんでした。特徴的だったのは、講師陣5名の内、3名がプログラマーだったことではないでしょうか?Web制作というとフロントエンドに注目されがちなのですが、制作フローに沿って要所を抑えていくセミナーになったと思います。
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「残す」ことを前提とした設計
2011年9月7日
ここでの「残す」とは、継承というニュアンスを含んでいます。子育てをし、親の気持ちというものが分かり始めました。親は自分に何を残そうとしていたか、自分は何を残せるのか?自分の中で非常に大きなテーマとなりつつあります。残すことを前提に何かを始めるというケースは恐らく少ないと思います。
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Twitterなどで失言する人に見えるパターン
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AERAの「放射能がくる」への反響、ソーシャルネットワーク上での失言による炎上、言葉は常に諸刃の剣です。大小問わず炎上した経緯を眺めていて、失言する人のパターンという仮説を立ててみました。
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情報処理技術者として私が目指すこと
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IAという言葉があります。プログラミングやデザインといった情報を具現化する手法は数あれど、その過程は属人的なノウハウであることが多く、他者との共有が難しいものです。それを言語化、図解する取り組みは過去にも数多ありますが、WEBデザイン上における同取り組みに正式な呼称がついたと捉えています。私も似た取り組みを行なっている者として、今後の指標を自分に書き残します。
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それでも私がブログを書きたくなる理由
2011年2月8日
世界に向けて発信することが、今は非常に簡単にできます。情報の性質が日々変化していく中で、あえて残したい情報として何が考えられるでしょう?そして、残したい理由は?自分のブログに対するスタンスを振り返りつつ整理してみます。
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あなたはフリーランスとして生き残れますか?
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CalmTechは開業3年目を迎えました。記念すべき日ではありますが、最近の開発者・製作者事情についてのエントリから思うところを、今後の自分への戒めを込めて残しておきます。
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